建築家と建てる家のグレード
輸送面で車両の大型化、鉄道の複線化、さらには石炭輸送ではなく生産現地に火力発電を建設、電気によるエネルギー輸送というような発想の転換を図るなどして、打開策を進めつつあるといわれる。
さらに利用高度化ということで、石炭のスラリー利用、あるいは液化などにも真剣に取り組んでいるとされるが、問題解決には相当に時間がかかることは必至であり、中国の石炭問題は「日本の酸性雨は中国から」という環境問題の側面からだけでなく、日本のエネルギー問題にとっても無縁ではない。
世界最大の水力開発三峡ダム中国のエネルギー事情を考える時、見逃すことのできないのが世界最大の水力開発、三峡ダム建設がある。
中国は石炭王国である一方で水力資源国でもある。
広大な国土に黄河、長江など誰もが知っている巨大な河川が存在する。
中国の水力資源はその河川が象徴するように巨大だ。
ひとつの試算によれば中国の水力発電能力は理論値で約七億キロワットとされ、この半分以上が開発可能といわれている。
しかし、この潜在能力と現実には大きな聞きがあるのが実情のようだ。
中国の水力発電は現在、ざっと四千四百万キロワット程度。
総発電量に占める比率は約二割弱。
これを三割程度に引き上げるのが目標とされる。
むろん簡単ではない。
水力発電所は建設コストがかかる。
石炭火力に比べ約三倍といわれており、さらに面倒なのは発電所から消費地までの輸送、送電の問題があり、送電設備費が大きな負担となる。
こんな問題を抱える中凶の水力事情だが、建設として全世界の注目を集めている。
三峡というのは長江の中流に位置する程塘峡、亙峡、それに西陵峡を合わせた呼び方で、にダムが建設されるのは、阿陵峡の一部にあたる湖北省の宜日日市になる。
その計画概要をみると三峡ダムの巨大さが一目瞭然だ。
重力式コンクリートダムで堰堤の高さ百八十五メートル。
長さが千九百八十三メートル。
総貯水量は三百九十三億立方メートルという。
発電量は設備ベースで千八百二十万キロワットというから百万キロワット級の原子力十八基が一挙に誕生することを意味する。
年間の総発電量は八百四十七億キロワット時だ。
使用鋼材は二ト瓦万トン、コンクリートは二千六百万立・万メートルという。
このために水没する制地は二万川千ヘクタール、移住が必要となる住民は約七十二万人とされるが、最終的には百万人を突破、約百十三万人に達するものとみられている。
こうした巨大プロジェクトには世史がある。
最初にその構想を打ち出したのは、日本にもなじみの深い孫丈だったといわれ、一九一八年のことだったという。
その後、革命を経ても構想は机上ベースで引き継がれ、実地調査などが行われてきたとされる。
この計画の実施が正式に決まったのは九二年四月、日本でいえば国会にあたる全国人民代表大会で承認された。
この承認によって日本の内閣にあたる国務院に「コ一峡工程建設委員会」が設置され、二一峡ダム建設は国家プロジェクトとして動き出した。
着工式は九四年末、李鵬首相も出席して湖北省で盛大に行われた。
実際三峡ダム建設の意義は大きい。
電力不足に悩みながら経済発展を続ける華束、華中といった地域に安定したエネルギー供給源ができることになる。
年間の総発電量八百四十七億キロワット時は石炭に換算すると約五千万トンにあたる。
これだけの石炭消費が抑制される環境問題上の効果は、自然環境の破壊という側面はありながらもまちがいない事実だ。
温室効果ガスの二酸化炭素は二百万トン、窒素酸化物は約四十万トンの排出が抑制される。
それに洪水抑制効果も大きい。
ダムが完成すれば約二百二十億トンの水が調整可能になり、湖北省では十年に一度は避けられない大洪水が百年に一度までに減らすことができるとされている。
恩恵を受ける耕地は百五十万ヘクタール以上という試算だ。
むろん、これだけの計画、様々な負の而が指摘されている。
例えば人口移動。
簡単に百万人の移動というが、どこにどう移動するのか、まかりまちがえば大きな社会問題になりかねない。
中国政府も承知で、三峡経済開放区の設定もその対策のひとつ。
経済特区をつくることで商工業の発展を誘導、労働力を吸収する計画だ。
重慶には三峡連合大学を設立、人材教育も進められている。
この巨大計画の是非の評価は歴史的な視点からなされなければならないのだろう。
石油備蓄からみたアジア石油の中東依存は九九年度、ついに石油危機以降、体制は明らかに、その脆弱性を高めている。
最高の八六%となった。
日本のエネルギーしかし、支え柱となる原子力は動力炉・核燃料開発事業団の一連の不祥事や東海村臨界事故の余波を受けて、激しく揺さぶられ、厳しい状況にある。
こうしたなか、一朝ことあれば出動しようと静かに眠るのが石油備蓄だ。
だが、この備蓄、「安全」はただではないということを教えてくれる格好の存在でもある。
湾岸戦争。
九〇年八月、イラクのクウェート侵攻で始まった湾岸戦争は、すわっ第三次石油ショックか、と世界を大きく揺さぶった。
石油の需給は心理的要因もあり、逼迫したが、結果は一時的値上がり程度にとどまり、大きな混乱はほとんど回避された。
この時の主役が石油備蓄だった。
第一次石油危機の教訓から、OECD加盟国によって設立された国際エネルギー機関が有効に機能したのだ。
IEAは湾岸戦争の推移から石油情勢が緊迫すると判断、緊急時協調対応計画を抹択し、一時的な石油不足に備えて、一日当たり二百五十万バレルの備蓄を取り崩して対応する方針を決め、加盟国に通達した。
日本もこれを受けて、義務となる分担量である三十五万バレルを取り崩すことになり、石油備蓄法に基づき、民間備蓄の基準を八十二日分から七十八日分に引き下げた。
簡単にいえば消費量の問日分を市場に放出、日川不足、値上がりを防止したのだ。
加盟国も同じような対応措置を講じた結果、石油危機後の最大の危機とされた湾岸戦争は国際石油情勢には大きな混乱をもたらすことなく、終息した。
灯油備蓄がまるで絵にかいたように機能したことになる。
この石油備蓄が今、石油備蓄法に基づき、日本では消費量の約百五十日分ある。
民間備蓄と国家備蓄が相半ばしている。
単純にいえば、この備蓄量は石油輸入量が半減してもなんとか一年弱は持ちこたえることができる体制ができたことを意味する。
平静な日常には全く役立つことのない石油備蓄だが、ここから、目には見えない「安心」が生まれてきているといっても過言ではない。
なかでも国家備蓄は、新しい人工の国内油田といってもいい。
事ある時以外は、全国十か所で静かに眠り続けるだけだ。
湾岸戦争でも規定によって民間の石油会社の備蓄が先行して取り崩された。
国家備蓄は最後の砦ともいえる。
国家備蓄は様々な方式で実施されている。
文字通りに油田といってもいいのが地下岩盤方式。
この方式による備蓄は岩手県久慈市、愛媛県菊間町、それに鹿児島県串木野市の三か所にある。
地下に巨大なドームを作り、ここに石油をためておく方式だ。
洋上備蓄もある。
海の上にタンクを浮かべる方式で、北九州市にある白島基地、それに長崎県にある上五島基地の二つがこの方式で、他は地上方式、あるいは半地下方式となっている。
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